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黒田航世(コミュニティ福祉・4年)

今回は、黒田航世選手(コミュニティ福祉・4年)のブログです。黒田選手は裏表が無く人当たりが良い人間で、いつも彼の周りには人が集まっています。自分の軸を持ちつつも、色眼鏡を持たず「物事」に向き合える彼は、大好きな陸上でも自分なりに結果を出そうと努力を行っています。今年がラストイヤーの黒田選手。彼の走りに注目です。

こんにちは。
コミュニテイ福祉学部スポーツウエルネス学科4年の黒田航世です。
 
2022年も気付けば折り返しをむかえようとしています。私は昨年末から続く怪我が一向に完治せず、この半年間はまともに走れない日々を送ってきました。これまで怪我をすることが全くなく、故障者の生活は未知の領域でしたが、今は復帰することの難しさをひしひしと感じているところです。以前、小池君のブログで「想像することの限界」について述べられていましたが、これまでの私自身が想像する故障者の生活は甘かったと今まさに思い知らされています。残された時間は少ないので、一刻も早い復帰に向けて努めて行きたいと思います。
今回は、そんな長い故障期間の中で感じたことについて綴ろうと思います。最後まで読んでいただけると幸いです。
 
長い故障期間の中で感じたこと、それは、「日常の当たり前は当たり前ではない」ということです。
私は脚を痛めた当初、長くても1週間程度で治る怪我だろうと思っていました。それまで怪我で練習を中断することがなかった私にとってはむしろ良い休養だろうと思い、怪我をプラスに捉えていました。しかし、状態は良くならず時間だけが過ぎ去っていき、おまけに当初痛めていた箇所とは違う箇所も痛めてしまいました。悠々と走る仲間を見ることしかできない日々の中で、試合で結果を出すライバルに対しての焦りが募るばかりでした。
その時、心の底から「走りたい」と思っている自分がいることに気づきました。故障する前までの私は惰性で練習に取り組んでいることが多く、走ることに対しての喜びを感じることはほとんどありませんでした。そう、練習をやらされていたのです。それまで怪我をほとんどせずに走れていたことは、怪我が多い選手から見れば当たり前のことではない、とても幸せなことなのだと感じました。
 
人は、何かを失って初めてその大切さに気づくものです。しかし、その大切さに気づけたのなら、何かを失った経験は決して無駄にはならないはずです。今回、予想以上に怪我が長引き、走れない辛さを嫌というほど味わってきましたが、この経験は無駄ではないと信じて、復帰に向けて尽力していきたいと思います。
 
最後に、私の好きなとある特撮作品に出てくる台詞を紹介して終えようと思います。
 
「生きるとは、欲することだ。」
 
なりたい自分になろうとする、叶えたい夢を叶えようとするその欲望こそが、人間を突き動かす最大のエネルギーになると言います。
この故障期間で味わった「走りたい」という欲望を糧に、残りの競技生活の一瞬一瞬を噛み締めていきたいと思います。
 
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
今後とも、立教大学体育会陸上競技部男子駅伝チームのご支援、宜しくお願いいたします。


次回は武田拓樹(法・3年)のブログです。来週も是非お読みください。

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