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小倉史也(経営・1年)

今回は小倉史也選手(経営・1年)です。小倉選手は選手、マネージャー共に愛されている選手で練習では学年問わず食らいつく姿が印象に残ります。
大学に入り5000mのベストを更新するなど少しずつ力をつけつつある選手です。

こんにちは。経営学部経営学科1年の小倉史也です。

食欲の秋、スポーツの秋、読書の秋。どんな秋をお過ごしですか?ちなみに私は相変わらず走っています。当たり前ですが。

初めてのブログとなりますが、このような文章を書くとなると中学時代の生徒会活動を思い出します。全校生徒の前や保護者の方の前で話す文章を書いてまとめるのにとても苦労しました。人前で話すことには良い経験になり慣れましたが、文章力は付きませんでした。ですから拙い文章になると思いますが、最後まで読んでいただけると幸いです。

私は小学3年生から陸上を始めました。ただ走ることが楽しく、レース後に鬼ごっこや、かくれんぼなどをしていたことが懐かしく感じます。まだ友達と集まってかけっこをただ楽しんでいた幼少期です。この頃の自分にはまだ今の陸上道をひたすらに必死に頑張っている姿、人生など考えもしていなかったでしょう。長距離、駅伝に興味を持ったのは小学5年生でした。私の地元、三重県では毎年2月に美し国駅伝(うましくに)という市町対抗の駅伝があります。その駅伝に出場したいと思い、長距離に専念しました。小学5年生の時はまだ体力がなく出場できませんでしたが、小学6年生の時に代表として出場できました。そこで駅伝の楽しさ、良さを知り箱根駅伝を走りたいという大きな夢ができました。そして小学生の卒論に箱根駅伝を走ると宣言し、中学生になり、陸上すると思いきや、バスケしていました。理由は自分の中学校に陸上部がなかったからです。バスケがしたかったのではなく、体力がつくだろうと思いバスケ部に入部しました。ですからあまりバスケ部の思い出はありません。チームのみんなごめんなさい。少し陸上の話とは一旦離れますが、冒頭で話した通り私は中学生の頃、生徒会長を務めていました。意外ですよね。自分でも今思います。なぜ、生徒会長になったかというと、生徒会の役員を決める投票で一番自分が多かったからです。すごくないですか?ありがとうございます。生徒会長になったからには、生徒代表として、いろいろ校則や伝統を変えてやりました。任されたことを精一杯やり遂げなければいけないという経験が今の陸上生活においてもつながっています。

話を戻しますが、バスケ部を引退し本格的にまた陸上を始めました。陸上クラブに通い、そこで恩師でもあるコーチに出会い、強くしていただいて、三重県の強豪校、伊賀白鳳高校に入学しました。本気で陸上に向き合うようになりました。スタートは良かったのですが陸上の道を進めば進むほど、思っていた以上に辛いことやこれまでのようにただ走ることが楽しいだけでは通用せず、陸上競技の難しさを実感しました。でも節目節目で叱咤激励していただける恩師や良きライバル、目標となる友に出会うことができ、壁にぶち当たる、立ちはだかる度に負けそうになる弱い自分もいましたがそれを乗り越える目標があったからこそ頑張ってこれたのだと思います。


そして今、立教大学に入学し、早々に箱根駅伝という大きな目標が目の前にあります。こんなにも早くずっと抱いてきた夢が目の前になるとは正直思っていませんでした。予選会では私は走れず、悔しい思いをしました。実際に私はまだまだ力は劣っていますが、強い思い、行動を起こせば変わらないような事でも変えられると信じています。最後になりますが、小学6年生からずっと変わらず抱いてきた「箱根駅伝を走る」という夢、必ず4年間の中で達成します。今後とも立教大学駅伝部の応援よろしくお願いします。

次回は、服部凱杏(経営・3年)のブログです。来週も是非お読みください。

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