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木島陸(経営・1年)


今回は、木島陸選手(経営・1年)のブログです。全日本大学駅伝予選会エントリー選手に唯一1年生から選ばれた木島選手は、普段の練習から集中力が高く、これからの成長が非常に楽しみな選手です。

こんにちは。経営学部経営学科の一年の木島です。
最初のブログは何を書けばいいか分からず悩んだ結果、中学校から大学入学に至るまでの私の人生をかかせて頂くことにしました。拙い文ではあると思いますが、最後まで読んで頂けたら嬉しいです。

南毛利中学校に入学した私は、陸上部に入部します。これが私の陸上人生の始まりです。これといった陸上を始める大きなきっかけはなかったのですがほかに得意なスポーツもなかったので陸上部に入ろうと決めていました。
入部した当初は、力もなく同い年の長距離の女子に負けてしまうほどでした。それに加え膝の手術によって1ヶ月走ることが出来ず周りとの差が広がって行くことに焦りを感じていました。しかしそれ以降は特に怪我もすることなく順調に練習を積み地道に力をつけて3年生になることが出来ました。←特に大きな出来事もなかったので省略させてもらいます(笑)
3年生の夏全国大会に繋がる最後の県大会、ここで大きな事件が起こります。
試合で使うスパイクを家に忘れてきてしまい大焦りです。普通は怒られてしまうような事なのですが、顧問の坂井先生は仏のようなお方で私が取りに行ってくるから落ち着きなさいと言って下さり、自身のスパイクを中学校まで取りに帰り、私に貸してくださいました。そのおかげで予選に間に合うことができ、先生のスパイクを履いて無事に決勝に進むことができました。決勝では3位入賞を果たすことができました。本当に坂井先生様々の県大会でした。坂井先生、あの時のことは今でも本当に感謝しています。(笑)

次に高校時代についてです。私が高校に入学した時期は、コロナウイルスが発生した当初だったためしばらく学校のない日が続き自主練習をする日々が続きました。コロナウイルスが落ち着き、学校が始まるといよいよ高校の練習が始まりました。中学時代の明るくわいわいした雰囲気とは全く異なり、ぴりっと緊張感のある練習の雰囲気に私は最初圧倒されてしまいました。練習の内容もとてもハードなもので最初の頃は練習にくらいつくので精一杯でした。しかし練習を続けていくうちに力をつけていくことができ、1年生の冬に県駅伝メンバーとして相洋高校初の県駅伝優勝にほんの少しですが貢献することが出来ました。
私がキャプテンを務めた代では、優勝には届きませんでしたが、そこまでに個性的な仲間達と共に同じ目標に向かって切磋琢磨した日々は私にとってかけがえのない思い出になりました。

最後に大学入学後についてです。
高校時代実家暮らしだった私は、寮生活を体験したことがなかったので最初は不安でいっぱいでした。しかしそんな不安も一、二週間たつと全く無くなり、無事に寮生活に馴染むことが出来ました。大学での練習は自主性が求められることが多く、自分で練習を行う機会が増えました。高校で自主性を持って練習に取り組みなさいと指導を受けていたので、それが今にとても活きているなと実感しています。
高校での教えを忘れずに、自主性を持って練習に取り組んでいき自分の目標である箱根駅伝出場、を達成できるように頑張りたいと思います。

まあ、ざっと私の大学までの人生はこんな感じでした。あまり面白くない文章になってしまいましたが最後まで読んでいただきありがとうございました。


次回は権守遼大選手(理・4年)のブログです。来週も是非お読みください。

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