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内田賢利(コミュニティ福祉・3年)

(C)月刊陸上競技

今回は、内田賢利選手(コミュニティ福祉・3年)のブログです。先日の箱根駅伝では山下りの6区を走った内田選手。今年度は3000㍍SCの立教記録を出しつつ、長い距離のレースでも粘りの姿勢を見せてくれました。記録だけでなく姿勢でこの部活を引っ張っていく内田選手の今後の活躍に期待です!

こんにちは。
コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科3年の内田賢利と申します。3度目の執筆となりますが、拙い文章になると思います。目にとまったら読んでみてください。

まずは、箱根駅伝でのたくさんの応援本当にありがとうございました。多くの応援を受け、率直にこの応援に応えたいと感じました。期待に応えられるよう尽力していきますのでこれからも立教大学の応援よろしくお願いします。

さて、今回のブログでは何を書こうかとても悩みました。誰かに自分を語れるような生き方はしていないので。(笑)なので私が生きてきて共感した「ことば」について書こうと思います。実は、昨年のブログでも言葉の話をしていますが、2023年版にグレードアップしてきたのでご安心ください。

皆さんにも好きな言葉や気に入っている言葉、強く共感した言葉があると思います。私には、そんな言葉があります。それは、

「チャンスのドアには、ドアノブがついていない。自分からは開けられない。誰かが開けてくれた時に、迷わず飛び込んでいけるかどうか。」という言葉です。

これは言葉の通り、自分からは開けられないドアを外側から誰かが開けてくれた時に迷わずに飛び込んでいけるかどうかがチャンスを掴めるか掴めないかを分けるという意味です。夢を叶えるチャンス、スポーツで好成績を残すチャンス、宝くじで一等が当たるチャンス、プロポーズをして成功するチャンスなど人生、誰もがチャンスを持ち歩いています。ただ、自分ではチャンスのドアを開けられないだけです。
いつの日か自分のチャンスのドアを開けてくれる誰か。それは、友人かもしれないし親または恋人かもしれない。もしかしたら全く知らない他人かもしれません。そんな人たちが、ドアノブをひねってドアを開けてくれる時、チャンスのドアの向こう側にいけるのです。いつの日か来るその瞬間のために私たちは準備をしなくてはいけません。ドアから出る準備です。「何かいいことないかな」と何もせずただ待っているだけならドアが開いた時に必ず今飛び込むべきなのか迷います。もっと良い状態、良い準備ができている時にドアから出た方が出てから苦労することがないのではないかと考えるからです。
でももし、ドアが開くのがその1回きりだったとしたら?その後いくら万全な準備をしてもドアを開けてくれる人がいなかったら?死が期限である人生において、その期限を正確に知っている人はいません。だからこそいつでも迷わず飛び込まなければいけないのです。思い通りになることなんかほとんどない人生で、思い通りになる数少ないチャンスを掴み取るために日々の準備が必要なのです。私は、最近何事においてもこの言葉を心に置き、迷わず飛び込んでいける準備はできているか考えています。皆さんも自分自身のために、迷わず飛び込んでいける準備をしてみてください。応援しています。

少し壮大な話になってしまったかもしれません。ふーんそうなんだと思っていただければいいです。(笑)私もあっさりとした内容を書くつもりでした。まとまりのない文章となりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

次回は、富田翔(現代心理・2年)のブログです。来週も是非お読みください。

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