コンテンツへスキップ フッターへスキップ

金城快(コミュニティ福祉・4年)

今年度初のブログは、1回目に相応しいこの男、金城快選手(コミュニティ福祉・4年)です。金城選手は副将として、チームを時に盛り上げ、時に厳しく律することのできる選手です。広い視点で常に周囲を気遣う彼だからこそ、多くの同期・後輩から信頼されています。ラスト一年、今まで以上に力強い背中を見せてくれるでしょう。


お久しぶりです。コミュニティ福祉学部4年の金城快と申します。
最近、街の満開の桜や、センバツ高校野球、プロ野球開幕を通して春の訪れをひしひしを感じております。春は出会いと別れの季節。つい先日も四年生が卒業式の後、寮を訪れる機会があり、それを実感させられました。改めてご卒業おめでとうございます。明日からの社会人生活、頑張ってください!(このブログは3/31に書いております。)
さて、本題に移りたいと思います。今回のブログでは「夢」について綴らせていただきます。拙い文章になると思いますが、どうぞ最後までお付き合い下さい。

皆さんはどんな「夢」をもっていますか?もっていましたか?

先日、第一生命保険株式会社が第33回「大人になったらなりたいもの」の調査結果を発表し、小中高生男子のランキング1位が「会社員」だったことがちょっとした話題になっていました。(子供の割に現実的な思考だな、とネガティブに思う方もいらっしゃると思いますが、具体的なイメージをもった上で会社員と回答する人も多かったみたいなので、是非ニュースリリースをご覧ください。)

ここで私自身の夢の変遷を紹介したいと思います。

私が最初に抱いた夢は「プロ野球選手」でした。きっかけは2006年のWBC(ワールドベースボールクラシック)準決勝での福留孝介選手が放ったホームランをテレビで観たことでした。それから程なくして野球を始めたのをよく覚えています。
ただ、あまり背も大きくなく、プロ野球選手のようにボールを遠くへ飛ばせる術もなかった私は徐々にその夢への想いが薄れていってしまいました。

次に抱いたのが「箱根駅伝を走る」ことでした。これは小学五年生時に観た箱根駅伝で、当時早稲田大学一年生だった大迫傑選手の1区独走での区間賞を獲る姿に衝撃を受けたのがきっかけでした。当時、校内の持久走大会で1位を獲得するなど走ることがそこそこ得意だった私は「自分もこのくらい速く、美しく走りたい!」と思った記憶があります。
ただ、この夢についても想いが薄れそうになる出来事が多くありました。
本格的に陸上を始めた高校時代では、徐々にタイムが伸び悩んでいき、挙句には受験に失敗して浪人もしました。さらに、大学入学後には、一個下の学年からスカウティングをした選手が入部してきてくれたこともあり、彼らの才能を目の当たりにすることになりました。
しかし、こうした経験をしてもまだ「箱根駅伝を走りたい」と本気で思っています。一体なぜなのでしょうか。他にこれより叶えたいことがないのか、長らく志してきたことで後戻りが出来ないのか、はたまた夢の実現を目指している自分に満足しているだけなのか、正直なところよく分かっていません。
ただ、四月からは大学四年生として競技人生集大成のシーズンが始まります。立ち止まってはいられません。夢が叶う、叶わないかは先のことなので、今は無我夢中にそれを追いかけたいと思います。
The easy way has no meaning.
困難な道のりかもしれませんが、頑張ります!!!


終盤にかけまとまりのない文章となりましたが、私の熱量が伝わっていると幸いです。
他にも熱い想いや高い目標を持った選手たちがこのチームにいるので、これからも立教大学男子駅伝チームの応援をよろしくお願い致します。 


次回は4月11日、中山凜斗(コミュニティ福祉・3年)のブログです。来週も是非、お読みください。

トップに戻る