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権守遼大(理・4年)


今回は、権守遼大選手(理・4年)のブログです。権守選手はゴンさんの愛称でチームのみんなから愛される選手です。また、安定感が魅力でストイックに練習に取り組み、着実に力をつけてきました。ゴンさんのラストイヤーの走りに注目です。

こんにちは。 理学部物理学科4年の権守遼大です。 今回で最後のブログになります。書くことがないのでこの4年間の振り返りをします。今回も拙い文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただけると幸いです。 
 
私は立教の箱根駅伝出場事業に惹かれ、一般受験を経て駅伝チームに加入しました。しかし、入部が決まった時期が遅く、コロナウイルスの流行もあって入寮したのが6月でした。チームメイトや監督とは一度も顔を合わたことがなく不安でいっぱいのなか入寮初日を迎え、大学初の練習でなぜか5000mのタイムトライアルに挑みました。この日の記録を下回ることなく4年間走りきることをひとまずの目標に決めました。 


1年目は怪我無く順調に練習をこなし、着々と力をつけることができました。その結果、箱根駅伝予選会に出走することができました。スタート前の雰囲気は緊張感のある個人の試合と違って、何百人もの選手たちが声を掛け合っていて、すさまじい熱気を放っていた様子が鮮烈で強く印象に残っています。そして初めての大舞台に臨んだわけですが、目標には遠く、ただただ悔しい結果になりました。正直もう少しうまくやれると思っていましたが、力不足を実感しました。この予選会をきっかけに私が箱根に出て活躍するんだと強く思うようになりました。 


しかし、そこから調子の上げ下げを中途半端に繰り返し、練習に気持ちが入らないことが増えました。思ったように練習ができず記録も伸び悩みました。そんな中で、昨年チームが箱根駅伝出場を決めました。予選会を出走した選手たちが歓喜する様子を寮の食堂のテレビ越しに見て感動すると同時に、自分もあの場にいたかったと感じました。上手くいかない日々が続く中で、箱根を走りたいという想いと裏腹に、もともと力のない私が箱根を走ることができるのかと心のどこかでずっと感じていました。しかし、チームメイトが歴史を動かす瞬間を目の当たりにして、悩んでいても仕方がないしこの1年はやれることをやってみようと考えを改めることができました。 


そこから本当に少しづつですが練習に対する向き合い方を変えることができました。jogを丁寧にやるとか動きづくりをちょっと増やすとか周りから見て分からない程度の微々たる変化だったかもしれませんが、気持ちの面で迷うことはなくなりました。そして冬のオフシーズンは久しぶりに充実した練習を積むことができ、今年の春は自己ベストを大きく塗り替えることができました。迷いが消え、記録が伸びてからは練習や試合に自信を持って臨めるようになりました。 


記録が伸びた理由の1つは、調子の良いときと悪いときの差を埋めることで調子の安定につながり、確実に練習をこなせるようになったことだと思います。私が練習をこなせない時期が続いたときに監督が、苦しんだ経験が絶対にのちに生きてくるとおっしゃっていました。以前はうまくできなかった練習にあまり意味はないと考えていましたが、苦しんだ経験を生かせたから調子の波を抑えることができたと思えば無駄な練習ではなかったと今では感じています。 
 
ここまで長々と振り返らせていただきましたが、この4年間で学んだ一番の教訓は結局のところ、継続は力なりです。無理せず必要最低限でいいからコツコツと積み重ねていくことが大切だと思います。継続さえできていればいつかチャンスは巡ってくるもので、そのチャンスを掴む準備が心身ともにできているかどうかが問題です。大事な場面で力を発揮するには俯瞰して自分の状態を冷静に把握できるかが大事だと思います。また、長距離走という精神力が問われる競技と向き合ってきて、気持ちの持ちよう次第で自分のパフォーマンスや物事の捉え方が全く変わってくるということを感じました。 
 
最後に、この4年間は私の人生において本当に貴重な経験になりました。こんなに夢中になれることは今後見つかる気がしません。予選会を走らせていただいたことや箱根出場を成し遂げた喜びをチームメイトと共有した瞬間は特別なものです。そして、最終学年としてこのチームに何かを残せるよう引退まで練習に励んでいきたいです。また、残り僅かな競技生活を楽しみながら悔いのないよう最後まで走り抜けたいです。 
 
まとまりのない文章になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。


次回は山口史朗選手(コミュニティ福祉・3年)のブログです。来週も是非お読みください。

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