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内田賢利(コミュニティ福祉・4年)


今回は、内田賢利選手(コミュニティ福祉・4年)のブログです。内田選手は、箱根駅伝6区を走ったスピードランナーで3000mSCでは立教記録も持つ3000mSCのスペシャリストです。春シーズンは怪我で走れない状況が続きましたが、そんな内田選手が怪我から復帰し、2年連続で箱根路を走る姿に期待がかかります!

こんにちは。
コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科4年の内田賢利と申します。

いつの間にか最後のブログとなってしまいました。本当は、4年間のまとめのような内容を書くつもりでしたが、春に大きな怪我をしてしまい、4年間をまとめている場合ではなくなってしまいました(笑) なので今回は、大怪我をして得たものと失ったものについて書きたいと思います。

まずは、怪我をした概要について書かせてください。
今年の関東インカレ3000mSCの予選で私は最後のハードルを超え、着地をした際に左足アキレス腱を断裂しました。先頭で脚にも呼吸にも余裕があり、ハードルに足を引っ掛けるような跳び方はしていないのに気がつくと転倒していました。何が起きたのかわからない状態でしたが、左足のアキレス腱付近にとても大きな衝撃があり、初めはハードルの角にでもぶつけて皮膚が裂けたのかと思いました(笑) 3位までは着順で決勝に進めるため、すぐに立ち上がり、走り始めましたが、左足に力が入らなかったのと足首が勝手に背屈してしまい、うまく走ることができませんでした。しかし、私の頭の中には「3位以内で決勝!」ということしかなく、ゴールして一番最初に思ったことは、「危ねーギリギリ3位、決勝行けてよかったー」でした。その後は皮膚が裂けていないか確認をし、無事だったので腓腹筋かヒラメ筋が攣ったのだと思っていました。念の為医務室に行き、トンプソンテストをしたところ左足に反応がなく、医師に「これ多分アキレス腱断裂してるね」と軽く言われ、大学ラストイヤーでゴールデングランプリと日本選手権が控えていたため、もう頭の中は真っ白です。


私は物事を楽観的に捉える性格でいつもなんとかなるかと思って生きてきましたが、この時だけは考えれば考えるほど喪失感に襲われ、辛くなるだけだったので考えることを辞めました。それから、次の日の決勝をLIVE配信で観た時に人生最後のトラックシーズンが終わってしまったことを実感しました。高校3年のインターハイ後監督に「今日負けた選手たちに大学で絶対に勝とう」と言っていただき、私にとっては箱根駅伝と同等かそれ以上の目標として立教大学に進学したということもあり、やり切って終わりたかったという後悔の気持ちでいっぱいでした。
監督やチームメイトは優しく、箱根駅伝本選があるからと励ましてくれましたが、大好きだった春シーズンを全て無くしたというショックから、「よし!箱根駅伝頑張ろう」と切り替えられるわけもなく、辛い気持ちが大きいことで陸上が嫌いになりそうだったので、その日から陸上競技から離れるようになりました。
TwitterやInstagram、LINEグループなどの大会の結果はもちろん、大会のLIVE配信も一切見ないようにしましたし、トラックにも6月に開催された全日本大学駅伝予選会以外は2ヶ月間一度も行きませんでした。ただ歩けなかったということもありますが(笑)
全日本大学駅伝予選会は、関東インカレと同じ会場だったため、あの時ここで断裂してなければなぁとどうしても考えてしまい、正直来ない方が気持ち的に楽だったなと少し後悔してました。とは言っても寮生活をしているため、完全に陸上競技から離れることなんて不可能です。これはまだ誰にも言ったことはありませんが、本当は辛さを誤魔化すため、そしてチームメイトや監督、マネージャーに気を遣わせないためにアキレス腱を断裂し、医務室から監督におぶってもらい陣地に戻り、心配して待ってくれていたチームメイトを見た時から上辺だけは全力で楽しそうに、何ともないかのように繕って生活していました(笑)
なんだか(笑)を定期的に入れないと暗い話になってしまうので定期的に入れますね(笑)

けれどそんな必要はありませんでした。
陸上競技から離れてからチーム内で孤立し、腐ってしまう

なんてことは一切なく、毎日明るく話しかけてくださる監督や帰ってくるのを待ってますと言ってくれるマネージャー、今までと変わりなく接してくれるチームメイト特に白瀬、市川、中山、峯本、中村、中西、馬場はよく部屋に来てくれてたくさん助けられました。ありがとうございました(笑)→これは紛らわすための(笑)ではないですからね。

そして、7月上旬に開催された明立戦で少し嫌でしたが久しぶりにトラックに行きました。そこでPBを更新するチームメイトを観て、これまで走っている選手を観ても辛さしか感じなかったものが刺激に変わっていることに気がつきました。私も頑張らなくては、と。その日からポイント練習のある日は、ちょっとだけ無理をして歩いてトラックに行き、みんなの練習を観るようにしました。夏合宿前で練習量が増え、思うように走れていない者や逆に調子が上がっていく者、貧血だと騒いで結局なんともなかった者もいましたが(笑)
それでも努力している選手たちを見て刺激を貰いましたし、応援する側になって応援することの楽しさや応援した選手が結果を出した時の喜びを知りました。
そのため、大会で選ばれなかった選手、応援にまわった選手たちの分まで走るという言葉をよく耳にしますが、今の私はその言葉を一番理解している自信があります。

私はアキレス腱断裂という大怪我をして、多くのものを失いました。私にとって箱根駅伝と同等かそれ以上の目標であった日本選手権、国際大会であるゴールデングランプリ、多くの方々に応援してもらえる機会、両親に恩返しできる機会、夏合宿、陸上競技へのモチベーション、達成感など挙げ出したらキリがありません。しかし、得たものもあります。一つは信頼です。この怪我を通じて、監督、マネージャー、チームメイトとの信頼が深まったと思います。全く走れない私が、今このチームでストレスなく、活動できているのは、紛れもなく周りの人たちのお陰です。前述したように毎日明るく話しかけてくださる監督や帰ってくるのを待ってますと言ってくれるマネージャー、今までと変わりなく接してくれるチームメイトが私を信頼して接してくれたからです。この怪我で信頼してもらえていることを実感し、私も今まで以上に信頼するようになりました。
もう一つは、時間です。4年になり、進路を考えた時にもし自分から陸上をとったら何が残るんだろうと考えることもありました。特に春シーズンは、陸上競技のことを考える時間が多く、そんな時に陸上がなくなってしまい、それまで陸上競技以外ほとんど手をつけて来なかったため、他に逃げ道がなく、ショックが大きかったのだと思います。怪我をして、今まで陸上競技に費やしていた時間を別のことに費やすことが増えました。もちろん、陸上競技を放ったらかしにしたということではなく、やるべきことをやった上でですよ。言い方を変えると色々なことに興味を持ち、活動的になったということです。普段ならしないこと、する機会がないこともするようになりました。例えば、怪我をしてから色々な人と会話をすることが増え、今までなら部屋で寝ていた時間も朝から中西の部屋にみんなで集まり、談笑するようになりましたし、その時間が私にとってはとても楽しくて日々の活力になってました。今はみんな合宿に行ってしまっていないので退屈です(笑)そのため、他学年とも仲良くなり、昨年まで後輩から「初見怖い」と言われるのがコンプレックスだったのですが、今年は一度も言われてません!陰では言われているかもしれませんが。
また、走っている時は自分のことでいっぱいで周りのことはあまり見れていなかったですし、他人への興味が薄いこともあったので周囲のことを気にしていませんでしたが、今は周りの人の話を聴くのが楽しくて、他人に興味を持って接する時間も増えました。それと、イメチェンもしてみたくなり、パーマをかけました(笑)

アキレス腱を断裂し、監督、チームメイト、マネージャーと多くの人に気を遣わせましたし、迷惑をかけました。私に残っているのはもう箱根駅伝本戦しかありません。そこで恩返しをすることが今の私の原動力であり、これを果たすために現在リハビリとトレーニングに励んでいます。けれど多分辛いのはここからです。今は、人並みに歩くのが精一杯で正直走れるイメージが全くできないですし、チームメイトの助けを借りて刺激を貰い、陸上競技に向き合っているだけです。ここからは自分自身で陸上競技に向き合っていかなくてはいけません。チームメイトが箱根駅伝本戦を勝ち取って来てくれることを信じて、私は精一杯陸上競技に向き合おうと思います。そして、必ず秋に戻ってきます。その時は応援の程よろしくお願い致します!

今回は、大怪我をして得たものと失ったものについて書かせてもらいました。失ったもののほうが大きいことは確かですが、怪我をしなければ得られなかったものがあったのは確かです。個人的な内容を長々と書いてしまい、還元できることも少なかったとは思いますが、このブログが読んでくださった皆さん、怪我や不調で思うように走れず苦しんでいる選手の些細な手助けになってくれると嬉しいです。

最後に、「苦しい時は、迷わず周りの人に頼ってみてください。必ず助けてくれる人がいるはずです。そして、苦しい時に助けてもらうために信頼される選手、人になってください。」
あと、関東インカレのLIVE中継で断裂する瞬間がばっちり映っていて、断裂する瞬間を映像で見れることもあまりないと思うので、お勧めはしませんが、時間があれば見てみてください。なんだか、映像にも残っているともはや一生の思い出になりそうです(笑)

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。4年間のまとめは箱根駅伝の後に書かせてください(笑)


次回は中村大毅選手(コミュニティ福祉・4年)のブログです。来週も是非お読みください。

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