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山本晄太郎(現代心理・1年)

今回は、山本晄太郎選手(現代心理・1年)のブログです。
優しい人柄が魅力の山本晄太郎選手。
昨年は夏にチームで1位・2位を争うほど距離を踏み、冬に5000mのレースで結果を出すなど、一年を通して成長した山本晄太郎選手の今年の活躍から目が離せません!

こんにちは。現代心理学部映像身体学科1年の山本晄太郎です。日頃から立教大学男子駅伝チームへのご支援、ご声援誠にありがとうございます。早くも3月も半ばとなりました。入寮してきた新入生たちの初々しさを微笑ましく思う一方で、もう1年経ってしまったのか、という焦りを同時に感じております。今回、初めてのブログということで、自己紹介を書かせていただきます。拙い文章ですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

私の生まれは宮崎県で、その後東京へ引っ越してきました。きっかけは覚えていませんが、幼稚園、小学校とサッカークラブに所属していました。ポジションはFWでしたが、私はヘディングができず、キック力も決定力もない選手だったため、泥臭く点を稼ぐ岡崎慎司選手には大きな憧れを抱いていました。その一方で、ダブルタッチだけは卓越した技術があり、周りの選手から一目置かれており、「伝家の宝刀」と呼ばれていました。 中学に入ると同時に陸上部に入部しましたが、特にこれといった理由はなかったと思います。小学校の頃から、周りよりちょっと持久走が速かった程度で、陸上の実績としても、都大会決勝にはギリギリ出られるくらいでした。当時は周りの選手が速そうに見え、怖くてレースに出たくないという思いがとても強かったです。そのため、陸上に対する熱意というものはあまり強くはありませんでしたが、ご縁があって國學院久我山高校からの勧誘があり、都大路を目指して陸上を続けることとなりました。初めは練習環境の変化についていけずに怪我が続いてしまい、なんとなくで陸上を続けたことを何度も後悔しました。それでも父母を初めとする周りの方の支えがあり、なんとか3年間やり続けることが出来ました。都大路出走という目標まであと一歩でしたが、陸上の楽しさを再確認することができ、大学でも続ける決意を固め、この立教大学駅伝チームに入部することとなりました。親元を離れて生活することに不安はありましたが、不思議な先輩方や頼もしい同級生のおかげでとても濃い1年を過ごすことが出来ました。また、それと同時に、毎回レースの応援に来てくれる父母や、陰で応援してくれている中高の顧問の先生など、自分を支えてくれている人の多さにも気付かされる1年となりました。今年度は思うように結果が出せませんでしたが、この感謝の気持ちを胸に、来年度は飛躍の年にしたいと思っています。

最後まで読んでいただきありがとうございます。これからも立教大学男子駅伝チームへのご声援よろしくお願いします。

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